平成22年度全日本表彰選手の選考について
1.表彰制度について
本連盟の国際交流のあり方に関する1年余の検討を経て、全日本選抜チームの海外遠征または国内交流試合は予算上3年に1度とするが、チーム編成は毎年行い監督および選手全員に表彰状と記念品を贈ることとなった。
この制度は平成15年度から試行され、平成17年度には中国広州遠征、平成20年度には台湾遠征が実施され今日に至っている。
2.選考方法
全日本選抜チーム選考は選手権大会終了後国際交流委員会が行う。監督には選手権大会優勝監督を当て、選手は準々進出チームの監督が推薦する候補者(優勝 7、準優勝5、準決勝敗退3、準々決勝敗退2)の中から、守備位置等を考慮して決定している。なお、平成22年度からは清瀬杯大会で突出した活躍をした選 手も選考対象に加えることにした。
候補者の推薦が、大会成績だけでなく平素の学業や部活動も考慮し、技量、人格ともに優れ、他の模範となる選手のなかから選ばれていることは言うまでもない。
3.選考経過
選手権大会ベスト8からの監督推薦の内訳は、投手8名、捕手6名、内野手5名、外野手8名であった。
投手は候補者全員を採用した。捕手はベスト4の全監督がバッテリーを候補選手として挙げており、投手とのコンビネーションも考慮し、ベスト4の全捕手と強打の梅田健太郎(高崎経済大)を選抜した。
内野手は優勝、準優勝チームの候補者全員に、清瀬杯で本塁打3、打率0.533、打点7の猛打で九州産業大学の優勝に貢献した沖拓也を加えた。外野手は甲乙付けがたく、チーム構成上やむを得ず、ベスト4の候補者のみを充てた。
4.選外選手
瀧口貴博(法政大)、瀬戸口貴史(長崎県立大)、林千雅(高崎経済大)、髙橋弘樹(東北学院大)、牧野翔太(専修大)は選手権大会ベスト8からの監督推薦 を受けながら選抜されなかった。いずれもチームの主将あるいは主力として今大会上位進出の原動力として活躍した選手たちである。
人数制限により監督推薦から漏れた、あるいは1,2回戦敗退の選考対象外チームにも、攻撃の要となった内野手堂園昴平(専修大)、井本正太郎(下関市立 大)、武田和之(早稲田大)、同じく外野手塚原達也(愛知学院大)、小野裕司(福岡大)や、投手では優勝候補中央大に完投勝利した森本慎也(立命館大)、 専修大に惜敗した中川琢也(金澤大教育学部)など、全日本メンバーに匹敵する活躍を示した選手が多数見られた。
5.選考結果
選手権大会ベスト8および清瀬杯優勝チームの各監督が推薦した選手の中から守備位置等を考慮して決定した、平成22年度の全日本選抜チーム名簿は次の通りである。
守 備 | 名 前 | 大学名 | 学年 | 出身高校 |
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監 督 | 高山 武雄 | 同志社大学 | ||
投 手 | 原田 健希 | 早稲田大学 | 4年 | 静岡高校 |
山田 貴洋 | 東北学院大学 | 4年 | 原町高校 | |
島嵜 大地 | 長崎県立大学 | 4年 | 西陵高校 | |
森月 将國 | 同志社大学 | 3年 | 静岡商業高校 | |
山本 壮太 | 同志社大学 | 3年 | 岡山城東高校 | |
塚本 裕馬 | 法政大学 | 3年 | 育英高校 | |
川田 展行 | 専修大学 | 3年 | 桐生第一高校 | |
内藤 陽介 | 関東学院大学 | 2年 | 横須賀学院高校 | |
捕 手 | 河原林 慶 | 同志社大学 | 4年 | 同志社香里高校 |
古跡 勇太 | 早稲田大学 | 4年 | 成田高校 | |
櫻山 大樹 | 法政大学 | 3年 | 報徳学園高校 | |
浅見 秀明 | 関東学院大学 | 3年 | 横浜商科大学高校 | |
梅田健太郎 | 高崎経済大学 | 2年 | 松蔭高校 | |
内野手 | 一ノ瀬智宏 | 同志社大学 | 4年 | 長崎西高校 |
山本 雄太 | 法政大学 | 4年 | 習志野高校 | |
沖 拓也 | 九州産業大学 | 4年 | 高陽東高校 | |
下井田匡史 | 同志社大学 | 3年 | 西宮東高校 | |
土田 大輔 | 同志社大学 | 2年 | 彦根東高校 | |
阿久津航太 | 法政大学 | 2年 | 水戸商業高校 | |
外野手 | 栗山 尚巳 | 同志社大学 | 3年 | 東福岡高校 |
西森 雄紀 | 法政大学 | 3年 | 済美高校 | |
渡邊 翔 | 関東学院大学 | 3年 | 藤嶺学園藤沢高校 | |
白石 大智 | 早稲田大学 | 2年 | 八幡浜高校 |